お知らせ
- 2025.05.23
- ホームページリニューアルしました。
教会紹介
San Francisco 郊外のEl Cerritoという町にあるプロテスタントの日本人教会です。毎週日曜日 午前10時30分から日本語で礼拝を開いています。この礼拝はどなたでも自由に参加できます。
牧師紹介

中浜一郎
2000年くらいからこの教会との関係があり、2014年のクリスマス後に主のみ声に聞き従い、2015年3月1日から牧師に就任する。
JTJ宣教神学校出身(通信教員により、2005年卒業の13会期生)
北米南部バプテスト教団牧師出身。
JEMS(Japanese Evangelical Mission Society)による、75周年を昨年迎えたマウントハーモン修養会日語部ディレクターを2005年から就任している。
1960年代生まれ、熊本県出身。
1985年5月よりサンフランシスコエリアに単身赴任して以来の在住者。
1998年9月15日、ミッションバラバの集会に間違って参加し、その夜、主イエス・キリストに出会いクリスチャンになる恵みに預かった。
妻は韓国人、娘二人、息子一人、孫五人。
今も建築業を営みながらの牧会者。
集会案内
主日礼拝
毎週日曜日 10時30分から12時00分



教会のあゆみ
1、開拓伝道開始の時代 (1916年~1920年)
当時、日本人移民者への差別が激しかっ。ナザレン教会の宣教師として日本に在住経験のあるリリアン・プール姉(後のバーネット夫人)によって日系人間での伝道が始められた。
バークレイ・ナザレン教会(テレグラフ通り)の設立に貢献され、1923年まで奉仕された。
創設当時1916年にはスパニッシュ風邪が大流行した。世界中で当時の人口の4分の1程度に相当する5億人が感染したとされ,死者数は1,700万人から5,000万人との推計がある。
三沢悌之助兄が1917年12月第一代牧師として着任。1920年にナザレン神学校卒業。
1932年新会堂時代まで礼拝は午後4時からであった。
1919年5月、ナザレン派から分離し、バークレイ・フリーメソジスト教会となり会堂を7月ドワイトウエイに移転した。1920年7月23日献堂式。
1921年頃から、中田重治師、川辺貞吉師、車田秋次師が来訪伝道がされた。
1923年9月1日に起こった関東大震災に、全米より1億ドルの救援金品が贈られた。
1931年3月より、街道をダービー通りに移転。
1932年、ロスアンジェルのフリーメソジスト学校でリバイバルが起こる。 加州年会(California Conference)より脱会し、11月に新創立された沿岸日本人自由メソジスト年会(Pacific Coast Japanese church Conference)に加入。
1936年賀川豊彦師、来訪伝道。
1937年3月25日、三重苦の奇跡の人、ヘレン・ケラー姉が来訪された。
1941年12月7日日米開戦。在米邦人の財産凍結令発布、及び通信遮断や各種の禁足令。
1942年2月1日、敵国人取締法発表。イーストベイエリアは居住禁止地区に指定。
同年3月5日より、太平洋沿岸在住の邦人は全面立ち退き、各地の収容所に搬送される。
米人教会よりの援助の申し出があり、留守中の教会堂の保護してくださる約束。
4月26日「平和の成る時までバークレーにおける我が教会の集会は停止の止むなきに至りました。賛美と祈祷をこめて立ち去りましょう。5月1日正午にバークレー同胞は全員ともに南サンフランシスコの近くのサンブルーノの北、タンホーラン収容所に収容されます。」
荷物は手で持てるもの2個の制限があったため、教会で一部保管された。
1942年4月末、日本人の教会は閉鎖になった。
第二次世界大戦後
1945年7月31日、英語初代牧師 宮部ジョン師、妻 マリアン姉着任。
各地の教会は臨時ホステルとして帰還者受け入れ援助しつつ、追々に教会の耐性が整い各教会で礼拝を持つようになった。
1947年、第一回日本救援物資発送。総額$53,841(金品と古着など)当時は収容所出所後でもあり、仕事の都合、住宅などで移動は激しく当地に戻れなかった。
方々、結構で他州に出る方も沢山おられた。
日本へ三年間で一千万冊の聖書配布運動。そのために日本聖書協会に協力開始。
米国聖書協会の厚意により二百万冊の聖書が日本に贈られた。需要多し。
1950年11月12日より、リッチモンド方面での定期集会を催す事を決定。
毎日曜日午後3時の礼拝開始。
5901 Potrero Ave, El Cerrito (於:土田家、鍋田家)のちに市から住所変更により5395に。
1950年9月3日、馬男木秀子姉受洗
1951年6月18日、特別伝道集会(河辺満甕(みつかめ)、新里貫一、車田秋次、 金田数夫、賀川豊彦)
鍋田敏郎兄の住宅を教会堂兼牧師館建設のため購入。リッチモンド自由メソジスト教会堂。
5月にレッドウッド市に伝道開始。
1952年にペニンスラフリーメソジスト教会となる(メンバー6人で発足)
1954年9月、バークレーの教育館完成。
1953年 日本語教育、150名ほどの生徒が集まっていた。
1957年9月、北米開教80周年記念大伝道集会開催。本田弘慈師。教会員結婚ブーム。
1959年、リッチモンド教育館の起工式。
1963年6月19日、教育官命名式「リリアン・バーネットホール」
*アリゾナ州のフリーメソジスト白人教会年会より、戦時中の日系人に対する行為の正式な謝罪が成された。7月13日受諾を発表。
しかし、一部の人たちはとても協力的で、同情をし、収容所の留守を守って下さった。
1964年、リッチモンド教育館隣接の土地(3Lot)をパーキング場のため購入。
リッチモンド礼拝堂と社交室($110,000)パーキングと外庭($7,000)
小松技師($9,360)
1966年、教会名称はバークレイ・リッチモンドフリーメソジスト教会。
英語部はリッチモンド、日語礼拝はバークレイ。午前11時開始。
1968年11月17日、婦人会50周年記念会。
1974年11月、バークレー教会売却、11月3日記念礼拝。
11月10日より、エルサリートで英語部日語部合流。
1976年9月11日、日本語学校開校式。
1978年一世記念館増築開始。
1979年献堂式、教会名改称「イーストベイ・フリーメソジスト教会」
2018年9月18日、英語部閉鎖。日語部は継続。
2019年4月、現LINEAGE教会と合併。
新英語部による会堂全改装工事により、日本語部は旧一世記念館が礼拝堂となる。
2020年3月より、コロナウイルスによる全世界的パンデミック発令。
ベイエリアは州に先立って、外出禁止となり多くの対人接触法規が施行。人が集まることは法律的に禁止となり、礼拝はズームによるオンライン礼拝に切り替わった。
2021年12月に一応改装工事終了。新英語部は礼拝堂での礼拝を一部開始。
2022年5月22日より、新礼拝堂礼拝開始。オンラインとのハイブリッド礼拝継続。

アクセス
5395 POTRERO AVE,EL CERRITO. CA 94530
bart(電車)
サンフランシスコダウンタウンから約1時間
El cerrito Del Norte 駅下車 徒歩10分
車
サンフランシスコダウンタウンからI-80 Eで 約30分
POTRERO AVE 出口 を出て左すぐ
よくある質問
- 教会に行ってみたいのですが、いつ行けばよいですか?
- 初めての方には日曜礼拝にお越しください。
- クリスチャンではありませんが、教会へ行ってもいいのですか?
- もちろん大歓迎です。どうぞご気軽にお越しください。
- 礼拝出席に事前に予約は必要ですか?
- 予約は不要です。
- 礼拝に必要なもの服装を教えてください。
- とくに必要なものはありません、普段着でお越しください。
- 駐車場はありますか?
- 数台置けるスペースがございます。どうぞ安心していらしてください。
- 旅行中の日曜日に礼拝に参加したいのですが大丈夫でしょうか?
- 是非いらしてください。歓迎いたします。
- 献金などのお金は必要ですか?
- 強制ではありませんので、献金をする・しないは自由です。